不登校だったAくんが、胡蝶蘭の世話をきっかけに教室に戻ってきた

はじめまして。小学校教師の桜井美緒です。

今日は、わたしが担任をしていたクラスで起きた、ちいさな……でも、わたしにとってはとても大きな……出来事についてお話しさせてください。

「先生、花が咲きました!」

ある春の朝、スマートフォンに一件の着信が入りました。相手は、半年以上ほとんど学校へ来られなかったAくん。声の弾み方が、いつもとまるで違いました。わたしは思わず、受話器を持ったまま廊下でひとり涙をこらえていました。

その電話から約2週間後、Aくんは胡蝶蘭の鉢を両手で抱えて、教室の扉を開けました。

植物を育てることが、子どもの心にこれほど深く作用するとは、正直、わたし自身も予想以上でした。この記事では、Aくんとの経験を通じて感じた「胡蝶蘭と情操教育の力」、そして胡蝶蘭の育て方の基本について、みなさんとシェアしたいと思います。

Aくんのこと……そして胡蝶蘭との出会い

心を閉ざしていたAくん

Aくんが学校へ来られなくなったのは、2年生の秋ごろのことでした。きっかけはクラスの友達とのちょっとしたトラブル。でも、そのひとつの出来事がAくんの中で少しずつ大きくなって、やがて「学校=つらい場所」というイメージへとつながってしまったようでした。

お母さんからの連絡では、「朝になるとお腹が痛いと言って、布団から出られない日が続いています」とのこと。家では比較的元気に過ごしているものの、学校の話題になると途端に表情が曇るそうでした。

わたしは定期的に家庭訪問を続けながら、焦らずAくんのペースを尊重するよう心がけていました。ただ、”何かきっかけになるものがないだろうか”と、ずっと考えていたことも正直なところです。

胡蝶蘭を持って、家庭訪問へ

転機は、ちょうどわたしが職員室で育てていた胡蝶蘭に花芽が出てきたころでした。その年の初め、保護者の方からいただいた胡蝶蘭が花を終え、「もう捨てようかしら」とつぶやいていたところ、先輩の先生に「もったいない、花芽が出るまで育ててみて」とアドバイスをもらい、大切に管理していたものです。

ある日の家庭訪問で、ふと思い立ってその胡蝶蘭の子株をひとつ、小さな鉢に植え替えてAくんのもとへ持参しました。「難しいことは何もないよ。水は週に1回、窓の近くに置いておくだけでいいんだよ」と伝えると、Aくんは最初こそ無表情でしたが、白い根をじっと眺めながら「…これ、生きてるの?」とぽつりとつぶやきました。

その表情に、わたしはかすかな手応えを感じました。

植物の世話が子どもの心を動かす理由

園芸療法が教えてくれること

植物を育てることが人の心に与える効果は、「園芸療法(ホーティカルチュラル・セラピー)」として医療・福祉・教育の現場でも注目されています。千葉大学園芸学研究院の岩崎寛教授の研究によれば、植物や自然との関わりはストレスを軽減し、意欲の回復や精神的な安定に効果があることが示されています。

園芸療法の本質は「うまく育てること」ではありません。育てるプロセスのなかで、感じ、観察し、世話をするという体験そのものが、心と身体に働きかけていきます。

「自分が育てている」という感覚が自己肯定感を育む

不登校の子どもの多くは、自己肯定感が傷ついた状態にあります。学校での失敗体験や、「自分はダメだ」という気持ちが積み重なり、心が守りに入ってしまっているのです。

そのような状態の子どもにとって、植物の世話は「失敗しにくい成功体験」になり得ます。

  • 水をあげると植物が元気になる
  • 毎日観察すると、わずかな変化に気づける
  • 自分が世話をしたから、花が咲いた

このように「自分の行動が結果につながる」という感覚は、少しずつ自己効力感(「自分にはできる」という感覚)を育てていきます。子どもが植物の成長に自分の存在価値を重ねていくプロセスは、情操教育の観点からもとても大切なものです。

また、訪問看護ブログPARC(パルク)では、植物の世話を通じて「生命の尊さへの理解が深まり、喜びや悲しみなどさまざまな感情が育まれる」と解説されており、植物栽培が子どもの感情の幅を広げることも明らかになっています。

胡蝶蘭の育て方……子どもでも無理なく続けられるコツ

胡蝶蘭は「難しそう」というイメージを持たれがちですが、基本のポイントさえ押さえれば、子どもでも十分に世話ができます。Aくんも、一人でしっかり世話をし続けてくれました。

置き場所:明るい窓辺がベスト

胡蝶蘭は、直射日光が苦手な植物です。レースカーテン越しの柔らかい光が差し込む、明るい窓辺が理想的な置き場所です。

気をつけていただきたいのは、エアコンの風が直接当たる場所は避けること。乾燥と急激な温度変化が苦手なので、風通しはよくても「当たりすぎない」場所を選びましょう。

また、一度置き場所を決めたら、頻繁に移動させないことも大切です。環境の変化に敏感な植物なので、安定した場所でじっくり育てるのが長持ちのコツです。

温度管理:15〜25℃をキープ

胡蝶蘭はもともと熱帯地方が原産の着生植物(木や岩盤に根を張る植物)です。そのため、寒さには弱く、気温が10℃を下回ると枯れてしまうリスクが高まります。

日中は約25℃、夜間は約18℃を目安に管理しましょう。冬場は特に注意が必要で、窓辺での管理の場合、夜間はダンボールで鉢を覆うなど防寒対策をするのがおすすめです。

季節管理のポイント
徐々に日当たりのよい場所へ移動OK
直射日光を避け、風通し確保
気温が下がり始めたら室内へ
15℃以下にならないよう防寒対策

水やり:「乾いたらたっぷり」が基本

胡蝶蘭の水やりで最も大切なのは、「根が乾いてから次の水やりをする」というリズムです。過湿による根腐れが、胡蝶蘭が弱る最大の原因のひとつです。

目安としては、春から夏は2〜3日に1回、秋から冬は週に1回程度。植え込み材料(水苔やバーク)を触ってみて、「まだしっとりしている」と感じる場合は、もう少し待ってから水をあげましょう。

水やりをするときは、鉢の底から水が流れ出るくらいたっぷりと。受け皿に溜まった水は、必ず捨てることを忘れずに。

子どもに覚えてもらうポイントをまとめると、以下の通りです。

  • 土(水苔)を触って「乾いているかな?」と確認してから水をあげる
  • 窓辺の明るい場所に置いておく
  • 冬は夜に冷えないよう気をつける

肥料:花が咲いているときはお休み

花が咲いている間は肥料は不要です。花が終わった後、春から秋の生育期に月に2回程度、薄めた液体肥料を与えましょう。やりすぎると逆効果になるので、ラベルの規定量よりやや薄めにするのが安心です。

Aくんの変化……胡蝶蘭が咲いた日

少しずつ届いてきた報告

胡蝶蘭をお渡しして数日後、お母さんから「Aが毎日窓のそばで眺めています」という連絡をいただきました。

その後、週に一度ほど「根っこが動いてる気がする」「葉っぱがツルツルしてる」といった短いメッセージが来るようになりました。わたしはそのたびに「すごいね!よく気づいたね!」と返信しながら、Aくんの観察眼の鋭さに驚いていました。

学校の話は、最初はほとんど出てきませんでした。でも、それでよかったのです。植物との小さなやりとりが、わたしとAくんの間に細い細い糸を繋いでいてくれていました。

「先生、花が咲きました!」

お渡ししてから約4か月。ある朝届いた着信が、冒頭でお伝えしたAくんからの電話でした。胡蝶蘭の花芽が膨らんで、白い花が一輪開いたとのこと。

「自分でちゃんと育てられた」。その事実がAくんにとってどれほど大きかったか、声の震えから伝わってきました。

そしてその約2週間後、Aくんは胡蝶蘭の鉢を大切そうに両手で抱えて登校してきました。「クラスのみんなに見せたい」と言って。

教室でAくんが胡蝶蘭の育て方を説明する姿を見ながら、わたしは、自分でも気づかないうちにずっと強張っていた肩の力が抜けるような気がしました。

学校に戻ってきた本当の理由

Aくんが教室に戻ってきた直接のきっかけは、もちろん胡蝶蘭だけではないと思います。お母さんとの信頼関係、スクールカウンセラーとの面談、友達のさりげない連絡……さまざまな積み重ねがあってこそです。

ただ、「毎日世話をする」という小さな使命感が、Aくんの一日の中に「できた」という感触を生み出し続けていたことは確かだと思っています。「植物は裏切らない」とよく言いますが、まさにそれです。誰かの言葉や評価に傷つくことなく、自分のペースで向き合い、確実に応えてくれる存在。Aくんにとって、胡蝶蘭はそういう存在だったのだと思います。

胡蝶蘭を使った情操教育のすすめ

子どもたちが胡蝶蘭の世話から学ぶこと

わたしの経験から、子どもが植物の世話を通じて育む力には、次のようなものがあると感じています。

  • 毎日観察する「気づく力」と「集中力」
  • 「自分がやらなければ」という自然な責任感
  • 花が咲いたときの達成感と感動する心(感受性)
  • 生命の力強さや、枯れることへの向き合い方(生命観)

特に胡蝶蘭は、花が咲くまでに数か月かかります。その「待つ時間」が、子どもに忍耐や期待を経験させてくれます。「すぐに結果が出ない」ことへの耐性は、現代の子どもたちに特に育てたい力のひとつではないでしょうか。

先生や親が意識したいこと

子どもに植物を世話させるとき、大人が意識したいのは「結果より過程をほめる」ことです。

花が咲かなくても、葉が少し黄色くなっても、「毎日観察したこと」「水やりを忘れなかったこと」をしっかり認めてあげてください。植物の世話における失敗は、命に関わる大きな事故にはなりません。だからこそ、安心して試行錯誤できる絶好の場です。

Aくんのケースでも、わたしは「うまく育てること」を期待するのではなく、「Aくんが植物に向き合ってくれていること」そのものを認め続けるよう意識しました。その積み重ねが、Aくん自身の自信へとつながっていったのだと思っています。

まとめ

胡蝶蘭の世話をきっかけに教室へ戻ってきたAくんの姿は、わたしに「情操教育の本質」を改めて教えてくれました。

植物を育てることは、ただ花を咲かせることではありません。毎日向き合い、変化に気づき、命に責任を持つ。その小さな積み重ねが、子どもの内側にある「自分を信じる力」をそっと育ててくれるのです。

不登校の子どもへの働きかけに迷っている保護者の方や先生方へ、「何か特別なことをしなければ」と焦らなくていいと思います。一輪の胡蝶蘭を手渡すくらいの、ちいさなことで十分かもしれません。

子どもたちが自然の力を借りながら、自分のペースで回復していく。そのプロセスに寄り添える大人でいたいと、わたしはこれからも思い続けています。

みなさんのお子さんやクラスの子どもたちにも、植物との素敵な出会いがありますように。